高木町は 14世紀に記された軍記物 『太平記』の巻19に登場します・・



古代




武生盆地を含む福井平野は海面下にあり、村国山・三里山などは湖沼に浮かぶ島であった。
日野川などの活発な埋積作用と海退によって徐々に平地があらわれ、紀元前10世紀前後には現景観となる。

日野川は低地を求めて定まる流路を持たなかったため、古代には高木近辺を貫流していた。

弥生時代
弥生時代中期から後期にかけての集落跡が、高木町上樋越(町の南方)の塚京町遺跡にて発掘された。遺物は、縄文土器、弥生土器、須恵器、石器などであり、その大部分は弥生土器であった。(平成8年発掘調査)

飛鳥・奈良時代




高木の地形はほぼ長方形で、古代条里制(7〜8世紀)の土地区画の遺構が残っている。

持統6年(691) この頃越国が越前・越中・越後の三国に分かれる。

高木近辺は、丹生郡18郷の中の芹川郷と考えられる。

平安時代




弘仁14年(823) 越前五郡のうち、丹生郡から今立郡が分かれる。

長徳2年(996) 紫式部、父越前国守藤原為時に伴われて越前に来る。

延久2年(1070) 泉久寺が創立される。(南北朝時代に日進上人により日蓮宗に改宗)

南北朝時代(室町時代)




14世紀に書かれた「太平記」の巻19の 『新田義貞越前の府の城を落とす事』に、
『 脇屋義助もはや逃れぬものと決心し、高木村の神社を砦として矢数を惜しまず攻めたてた・・・ 』と記されている。    
〔日野川の戦い : 廷元3年(1338)〕


※ 高木の名の由来は、15世紀に書かれた「廻国雑記」[准后道興]に記されている。
 『 しらきどの橋といへる所にて、里人に尋ね侍れども、答ふるものも侍らずして、里の名も いさしらきどの橋柱 立ちよりとへば波ぞこたふる。 又おなじならひに、高木の里といへる所に、柳の侍りける陰にわれ人涼みて、物語し侍ける間に、里の名を なのる高木の柳かけ、秋風しのふ夕すずみかな
 』

朝倉氏時代(室町時代)
朝倉氏が越前国を支配した頃は、府中から一乗谷へ通じる街道があった。 

   府中 ⇔ 瓜生高木 新庄 横越 戸の口 一乗谷

安土桃山時代



天正5年(1577) 府中城主 前田利家が領内巡覧中、高木村 上木新兵衛家(加賀藩3代藩主 前田利常の母の生家)にて休息。  ⇒ 壽福院

慶長3年(1598) 太閤検地が行われる。

江戸時代







福井松平藩領 → 幕府領 → 小浜藩領 

福井松平藩領  慶長5年(1600)〜 
幕府領   貞享3年(1686)〜    ※貞享3年 福井藩25万石に半減される貞享の大法
小浜藩領 元禄11年(1698)〜明治維新(1868)
            高木村高  千七百三十四石六斗二升

※ 元禄11年3月10日、小浜藩の所領であった下野国都賀郡佐野領5千石余りが、越前国南条郡・今立郡に移された。 新たに所領となった南条郡4村、今立郡4村の中に高木があった。(享保5年より 南条・今立の小浜藩領は10村となる。)
この南条・今立の所領は、新御領と呼ばれ、その支配には敦賀郡の郡奉行と代官があたった(「酒井家文書」「指掌録」)











正保元年(1644) 信行寺が福井・若杉に創立される。
    ※
   → 正徳4年 寺町に移転 → 明治2年 高木に移転

元禄2年(1689) 松尾芭蕉が近辺の北陸道を通る。(奥の細道)


宝暦5年(1755) 小浜藩主 酒井忠用、高木地積南端に貯水池「ふけ」を造る。

天明2年(1782) 天明の大飢饉(天明8年頃まで)

天保4年(1833) 天保の大飢饉(天保10年頃まで)

明治時代













明治 5年 高木に遷喬小学校が開設される
    ※ 明治15年の在籍生徒数 男37、女1 

明治14年 福井県となる。 
    ※ 小浜県(明治4)→敦賀県(明治6)→石川県(明治9 )→福井県

          

明治17年 北新庄村  (北新庄地区に 高木は含まれていた)

明治22年 国高村  (今立郡 国高村 高木)
    ※ 国高村は、村国と高木の名の一字をそれぞれとって名づけられた
         ※ 明治以降の国高村の人口及び戸数 ⇒

明治42年 国高村内の小学校が統合し、国高尋常高等小学校が新築される

大正時代

大正 3年 武岡軽便鉄道が開通する。 (武生町⇔五分市間)
    ※
昭和56年に福井鉄道南越線は廃線となる

昭和時代
















昭和23年 福井大震災(6月)、この時から「ふけ」の湧水が減少する。

昭和25年 国高村、武生市と併合する。 (国高村→国高地区)

昭和27年 国高中学校が北新庄中学校と合併、武生第3中学校が開校する。

昭和32年 高木町簡易水道が竣工される。(昭和56年 市上水道に接続)

昭和38年 三八豪雪

昭和39年 高木町の北に 新武生変電所が新設される。(8万kVA

昭和48年 高木町公民館落成

昭和52年 北陸自動車道が開通する。(高木町地籍)

昭和56年 五六豪雪

平成時代

















平成 元年 登り内霊園へ西の堂墓地が移転する。

平成 2年 国道8号福井バイパスが2車線での暫定供用開始。(高木地籍)
平成 5年 国道8号福井バイパスが4車線となり供用開始。

平成 9年 高木町南(塚町地籍)に 武生商工会議所会館が移転新築される。

平成10年 ふけ運動公園の整備。

平成14年 寿福院生誕之地碑が建立される。

平成17年 武生市と今立町が合併し、越前市となる。(平成の大合併)


平成21年 東部下水処理場が一部供用開始される。

平成30年 福井豪雪(2月)

平成30年 北陸電力丹南支店が、高木町に移転新築(丹南電気ビル)される。

参考:ふるさと高木、ふるさと国高、武生市史、国高村是、たけふ歴史探訪、松ヶ鼻用水沿革史
、武生盆地の歴史、小浜市史





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